Masuk儲からない店が潰れないのは理由がある。
簡単に言えば、儲からなくてもいいくらい金を持っているからだ。老夫婦が自宅を改造してタダ同然の食堂を開くのはそんな真似をしても困らないだけの貯蓄をこれまでの人生で稼ぎ切ったからで、道楽商売というのは案外身近に存在する。 それで言うと、喫茶ケチャップが潰れないのは灘子がオーナーとしてある程度の資金を援助しているからだった。裏社会専門の私立探偵。響きだけは美しいが、花火の第一印象はと言えばなんか汚い金持ちに他ならなかった。 「……うーん、悪くない。悪くないが何かしらの法に抵触している気分だ」 「なんとかリフレってやつ?」 「そういう言葉は忘れなさい」 持病で足を悪くしているらしく、灘子は激しい運動を医者から禁止されていた。文字通りの安楽椅子探偵を風呂場に連れて行き髪やら背中やらを洗ってやるのは自然と同性の花火の仕事になった。その間にマスターは汚部屋を片付けている。 「灘子さんっていくつ?」 「二十九」 「え、もうちょっと若いと思った」 「褒め言葉はいくらでも受け付けるよ」 「あー紫外線に当たらないから肌が綺麗なんだ。道理で。これがオタクホワイト」 「やっぱり少し黙ろうか」 シャンプーを付けて洗ってを三度繰り返して皮脂や汚れを取り、コンディショナーにぬるま湯を軽く掛けて乳化させる。マスターの指示通りに髪を洗い流すと艶々の茶髪に水が滴っていた。 「わたしが居ない時はどうしてたの? お風呂」 「豹虎くんが色々と世話を焼いてくれた」 「……マスターとはどういう関係?」 「色々と、だよ」 煙に巻かれた気分だった。灘子の経歴も何もかもが謎だ。豹虎と違ってどこまで嘘をついているのかさっぱりわからない。 「花火くんも入りなよ。お姉さんと一緒に」 「入浴する習慣のないアラサーと同じ湯船に浸かるのはちょっと」 「今のは本気で傷ついたなあ」 身体に付着した泡を流すと、灘子はバスタブの湯船にゆっくり浸かって息を吐いた。 「始末屋の杉下を殺してからずっとろくな休めていないだろう? 一息ついたらどうだ」 「……は?」 「元依頼人」 灘子はジップロックに入れて風呂場に持ち込んでいたスマートフォンをこれみよがしに見せた。海外発の暗号化メッセージアプリのアイコン。 自分をここまで誘導した謎の人物は、目の前で一週間ぶりの湯船に感嘆のため息を吐いていた。 「……」 花火を恐る恐る湯船に足を浸け、灘子の正面に座った。人二人分の体積で湯が溢れて流れる。 「子供は好きだよ。特に物分かりがいいのは」 「顔に見覚えがない。何の依頼」 「転売ヤー殺し」 花火は去年だけで同じ類の依頼を三十件以上受けていた。逐一依頼人を覚えているはずもない。残念なことにこの国の転売ヤーに対するヘイトが灘子の匿名性を保証していた。 「おいおい睨むなよ、私は敵じゃない。豹虎くんの今の上司で君と同じ目的を持つ仲間だ」 「同じ目的?」 「ある筋から依頼を受けたんだ。『殺し屋ライセンスを売買している真犯人《・・・》を探せ』とね」 真犯人と間違いなく灘子は言った。 それは花火を罠にかけた何者かが実在することを意味している。 「やっぱりわたしじゃないんだ」 「初めは君に疑いをかけていた。悪く思わないでくれ、もとよりそういう仕事だ。だが、プロファイリングした人物像と君は全く一致しなかった」 「美人で頭が切れて優秀だから?」 「忠誠心とバイタリティ溢れるポンコツだから」 「……」 「それに君が喫茶店《ここ》に来てからも絶えず裏のマーケットにはライセンスが出品され続けていた」 灘子はスマートフォン入りのジップロックを花火は手渡した。画面はダークウェブ上の巨大通販サイト、コカインや実銃と同じようにして花火のアホ面が並んでいる。 「裏の殺し屋が一躍有名人だね」 「全っ然嬉しくない……」 「流通数は目に見えるだけでおよそ百枚。国内でしか通用しないから海外需要がないんだろうが、それでも末端価格三百万で取引されている。たった三百万でこの国のあらゆる法律を無視できる」 「……!」 「理解できたか? 自分が巻き込まれている事件の重み」 灘子は遠慮なくバスタブで足を伸ばした。真っ白い脚の先が花火の肩を掠める。 「君が相手にしているのはもはや人間じゃない。この国の秩序を根底から破壊する化け物」 「……」 「協力者というのは一色豹虎と、この私自身だ。詐欺師と探偵。未知の怪物を殺す殺し屋の頭脳《ブレーン》にはおあつらえ向きだろう」 「……胡散臭さも一級品」 「お互い様だ。さて、素性もわかったところで」 灘子は足を組み替えるついでに湯船に浸かっている上体を起こした。その生白い肩口には銃痕があった。 裏社会で相手の素性ほど意味のないものもない。全ては実力と結果で示すべきだ。花火と灘子は完全な成果主義という側面で一致していた。 やがて、灘子から手が差し伸べられる。 「共同戦線と行こう。よろしく、賽原花火くん」 「……どのみち決めるのはわたしのマスター」 一致していないのは主従関係の有無だ。花火はあくまで組んだ相手を無碍にする気はない。 「ああ、その通りだ。このまま握手してたら忠犬から駄犬に格下げだろうさ」 「風呂場での死に方は十通りある。試したい?」 「ふふ、謹んで遠慮しておこう」 とぷん、と灘子は肩まで湯に浸かった。溶け残った入浴剤が発泡し、甘いミルクの匂いが鼻腔をくすぐる。 「まずはここを拠点にして地道に偽造ライセンスを回収していくことだ。流通経路を辿り、真犯人を探し出す。案外長い付き合いになるかもな」 「マスターの命を狙ってる謎の人物のことは? 何か知ってるなら教えてよ」 「確証がないからまだ何も」 「……」 「そのうち全て繋がってくるはずさ」 私の推理が正しければね、と笑う灘子の顔は赤らんでいる。久しぶりの入浴が応えたのか、そのまま立ち上がって早々と湯船を抜け出した。水気を軽く切って扉に手を掛ける。 「ちょっ、スマホまだ持ってる」 「着替えはもうすぐ届くはずだ。購入履歴を見てみたまえ」 言われるがままに花火は裏マーケットサイトを触り、アカウント下の購入履歴を開く。 「……!?」 「そうそう、流通経路を探る一番の近道だが」 ブランド品そっくりの偽造品を正規品と称してバイヤーに売りつける偽装ビジネス。正規価格で買う者を嘲笑するように裏マーケットには偽造品が安価に販売されている。その中から女性用のシャツや下着が適当なサイズで購入されていた。 「実際に買ってみることだ」 それと同じように、ごく当たり前な様子で偽造ライセンスが一枚購入されているのが見えた。 ──────────────────── 「おう、ええで。やるやる」 共同戦線の提案。豹虎があまりにもあっさりと承諾してきたので花火はまだ足元が濡れていたのかと思うほど勢いよく喫茶店の床を滑った。 「おい大丈夫か?」 「ご、ごめん……」 「人探しもモノ探しも頭数が一番大事や。あいつなら付き合いもあるし能力もある。信用できる」 「……あの人何なの?」 「まあ色々と」 「それしつこい」 「一回しか言うてないやろ。あ、皿運んでくれ」 一階・喫茶ケチャップの四人掛けテーブルに皿が運ばれていく。灘子を正面に花火が座り、豹虎がその横に着席した。 「喫茶ケチャップ特製ナポリタンと自家製コーンスープ、あとサラダ。うちの看板メニュー」 「……お金ないんじゃ?」 「客来おへんから材料余ってんねん。察して」 可愛げのある花柄の皿に盛られたのは山盛りと言っていい量のスパゲティだった。ケチャップとニンニクの香りが刺激的に食欲をそそり、カリカリに焼いてある厚切りベーコンが目を引いた。 「ナポリタンはパスタよかケチャップ炒めみたいな料理でな。具材とケチャップをケチらないよう心掛けると一気に美味くなる」 「ふーん。美味しそう」 「茹でたパスタを冷水で締めてマヨネーズとワインビネガーでマリネすることで食感と風味を」 「いただきまーす」 「裏ごししたコーンが……うん、興味ないわな。いただきます」 フォークでぐるぐる巻きにして豪快に頬張るとケチャップの酸味と甘み、ベーコンの脂が口の中で混ざり合ってなんとも言えない美味い料理だ。 「……うま」 「やろ?」 「なんか贅沢な味する」 「金が無くても飯だけはちゃんとしたもんを食うんが俺のポリシーでな」 焦げる寸前まで火を入れたクタクタのピーマンでさえ心が喜ぶ気分。花火はようやく自分の野菜嫌いが生《・》野菜嫌いだったことに気がついた。 「飯食いながら聞いてくれ。いったん俺らの目的を整理しよう」 「もふへき」 「噛んでから話せ。俺とお前は人生やり直すために組んだ。けどそれぞれで必要な手段が違う」 スプーンとフォークで丁寧にパスタを巻き取りながら豹虎が続ける。 「消えた二十億を探す謎の人物……Aとしよう。Aは俺がカギを握ってると踏んで偽造ライセンスを持った殺し屋を送り込んできたな」 「うん。ドレッドと襟足だよね」 「俺が人生やり直すにはまずAが何者を突き止めて止まなあかん。俺の命の問題でもあるし、二十億をぶん取るための重要なヒントになる」 自家製コーンスープをスプーンで掬って口に含んだ。優しい甘みとブラックペッパーのほんのりとした刺激がアクセントになって美味しい。 「聞いてるか……? せやから俺に必要な手段はAが何者か突き止めてぶっ潰すこと」 「なるほど」 「次に花火。そもそもお前に必要な手段は二つ」 これは自分のことだからわかる。〈殺し屋ライセンスの回収〉と〈違約金二十億の調達〉だ。 この二つの条件を満たすことではじめて花火は正式に殺し屋としてやり直すことができる。 「ライセンス回収は灘子の仕事に繋っとるんやったか? 楽でええな」 「ああ、裏の出来事は全てが繋がっている。一つを辿ればおのずともう一つも浮かび上がるはずさ。豹虎くんにピーマンをあげよう」 「自分で食え。そんで二十億の調達は俺の目的と繋がる。俺はAが欲しがってる二十億をぶん取るつもりやからな」 つまり花火の目的を達成することは灘子と豹虎の目的の達成することと同じ。 「ふーん。二十億ねえ」 「なんや、金の話でやる気出したか? 灘子」 「私はただ依頼を遂行するだけさ。雇ってくれるなら別だが、裏の探偵は高くつくぞ?」 「そらあかん、この金は俺が花火にやるもんやからな。俺なりのケジメをつけさせてくれ」 構わないさ、と灘子はコーンスープに浮かんだクルトンを掬って齧る。トーストをダイスカットしてオーブンで焼いたもので、外はカリッと中はふんわりでこれもまた美味しい。 「……ええと、つまり?」 「君たちにはまずライセンスを売買する運び屋と接触してもらう。今夜すぐ」 「お風呂入ってご飯食べたら眠くなるんだけど」 「赤ちゃんと会話してるのか私は」 ブラックマーケットに出回った商品は宅配業者ではなく闇バイトや犯罪組織の末端によって配送される。アナログな手渡しでの受け取りが情報の機密性を担保していた。 「ライセンスを確保しつつ運び屋から情報を得られれば一番だが……」 「そこは俺に任せてくれ。要は交渉やろ」 「じゃあわたしは用心棒?」 「いや、花火くんには見張り役をお願いしたい」 見張り役、と花火がそっくり返した。 「それだとマスターが危なくない?」 「逆さ。それを利用するんだ」 灘子は椅子の上で足を組み替え、微かに上擦った声で答えた。 「一連の出来事が繋がっているとしたら、これから少し面白いものが見れるかも知れない」翌朝。 タバコ買いにコンビニ入ったら泰良がいた。「……は?」「いらっしゃいませ」 しかも格好は店員だ。豹虎は花火がむやみやたらとお菓子を買うのを制止するために振り返り、目を擦ってもう一回見る。「ただいまホットスナック揚げたてですが」 やっぱりいたので豹虎は頭を抱えた。「何してん」「見たらわかるだろ。バイト」「なんでお前らは的確に説明できないんや」「マスター、わたし飲むヨーグルトが……げっ」 花火の声の方向を見れば色白短髪の殺し屋──ガスがいた。同じ赤と茶色の制服を着て、日用品の陳列を終わらせたところだった。「ボス、休憩に入る」「もうボスじゃない。行ってこい」「……一から全部説明してくれ。昨晩から全部」 掃除屋の青葉美鶴に二人を引き渡したのは昨晩の話だ。豹虎と花火は事件に関する事情聴取と、親元に帰るメビとの別れの挨拶のために警察署に向かうところだった。 つまり、こいつら二人は美鶴と一緒にバンで運ばれてすぐここのコンビニで働き出したことになる。しかも喫茶ケチャップの最寄りで。「美鶴は? 匿うって話はどこいった」「匿うったって檻の中に毎日閉じ込めておくわけじゃねえ。まともに働く技能があるなら表社会に溶け込ませるのがかえって安全なんだとよ」「カモフラージュ……木を隠すなら森ってか?」「掃除屋は人が隠したいものを処理するプロだ。表社会で処理しきれない事情を抱えた人間がみな顧客リストに入ってる」 二つあるレジのもう一方でオーナーらしい中年の太った男が妙にオドオドしながらこちらを覗いていた。詐欺師の経験が弱みを握られた人間特有の表情の歪みを一瞬で読み取ってしまい、自己嫌悪でタバコが吸いたくなった。「……あのおっさんは何やらかしたんや」「さあな。ま、殺し屋と犯罪王を最低賃金で働かせるのに見合う華々しい経歴をお持ちだろう」 ハイライトを頼んだところで後ろから花火が飲むヨーグルトとフルーツグミと塩キャラメル蒸しパンとバスクチーズケーキを持ってきた。多い。「せめて一個にせえ。朝飯たらふく食ったやろ」「ダメ、腕治すのにはまだ足りない」「少年漫画の主人公やあるまいし……」 結局医者に掛かることもなく、花火は昨晩から右腕を吊ったままだ。いわく「綺麗に折れてるので栄養を摂ればすぐ治る」らしい。「ボス」「ん? どうしたガス」「カニカ
アサギマダラ【浅葱斑】:チョウ目タテハチョウ科マダラチョウ亜科。半透明の水色(浅葱色)に黒い翅脈が走る特徴的な翅を持つ。夏に日本で発生したアサギマダラは秋になると南西諸島や台湾に南下し、温暖な環境で繁殖や越冬をしたのちに本土冷涼地に北上する渡り蝶。学名はパランティカシータ(Parantica sita)。 ────────────────────「大規模犯罪グループの首領を保護しろと」 海の見える公園近くにハイエースを停め、落ち合ったのは掃除屋の青葉美鶴。スマホの電卓で見積もりを計算しようにも前例がないと呆れた声を吐いた。「……前みたいな再教育プランは多分無理だと思いますけど」「いや、しばらくの間匿うだけでええ。再教育《そいつ》は司法の仕事や」 異様な光景だ。海沿いの街灯の下、この場にいるのは元詐欺師《豹虎》に刑事《二兎》に犯罪王《泰良》に殺し屋が三人。全員で協力すれば件の殺し屋セイに一矢報いることもできるんじゃないか、とふと思う。「……豹虎」「あ?」「やるよ」 肩の出血が少し落ち着いたのか、泰良は青い顔こそ変わらないが血に濡れた手で豹虎にあるものを差し出した。 偽造ライセンス。深層裏社会への片道切符。所持する者の犯罪行為を黙認させる悪魔のカード。「ええんか」「いいんだ。もう俺には必要ない」 それを手放すことは、阿座上泰良が裏ではなく表の法によって裁かれることを意味している。 暴力、拷問、搾取、殺人。二度と塀の中から出ることが叶わないだけの罪を泰良は犯していた。「覚悟はできてる。だが今のまま無策で檻に入ってセイの思うようになるのはごめんだ」 殺し屋セイが警察と繋がっている可能性がある以上、今の泰良を引き渡すのはリスクが大き過ぎる。だから掃除屋のもとで事態が解決するまで管理するのが最適だと結論を出した。「掃除屋。もしセイがコンタクトを取ってきても俺を引き渡さないと約束できるか」「裏の掃除屋は永世中立です。誰の味方でもなく依頼人の仕事を全うするだけ」 美鶴は花火が信頼する数少ない相手だ。暴力の世界でそれに屈しない者たちは誰よりも強かで、信用できる。だから豹虎もここに呼んだ。「ガス、お前は帰れ。好きにすればいい」「俺はボスと一緒に行く。まだ俺の中で契約は終わっていないからな」 ようやく喋れるようになったガ
「マスター!?」 痛みに耐えるターンに入ったガスを放置して階段を駆け上がった花火が勢いよくドアを蹴破るとそこにいたのは血だらけで突っ立っている豹虎を抱きしめてグズグズ泣いている阿座上泰良、そして何をどうしたらいいかわからずただ座ってそれを見ている少年メビだった。「……マスター!?」「二回も言わんでええ」 落ち着いた口調で突っ込まれ、そこでようやく花火は全てが終わったのだと察する。豹虎を狙う反社会組織パランティカ・シータのボスと殺し屋を打ち破ったのだから。「やー、すごいことになったね」 花火や二兎に続いてこのボス部屋に踏み込んだのは、事態を最後まで静観していた嶌崎志麻。途中で暇になったのかコンビニでパック酒を買って飲みながら来たので緊張感がまるでない。「……すごいことになったね!?」「天丼やめぇや! あと泰良お前さっさと離れろや変な誤解生んどる!」 泣いてる場合ではない。ここに辿り着くまで、あまりにも謎が多すぎた。なぜ豹虎が狙われていたのか、消えた二十億とは何なのか。「全部聞かせてくれ、泰良。俺らは今何に首突っ込んどるんや?」「……それは」「頼む。このまま警察に引き渡したら二度と会えんくなるかもしれん」「けい、さつ?」 少し落ち着きを取り戻したはずの泰良の様子がおかしくなったのは、豹虎のその言葉を聞いてからだった。「待て、それだけは駄目だ。今あいつらのところに行きたくない」「あ? ちょお待てや、今更駄々こねてもしゃあないやろ」「違う! 警察だけは駄目なんだよ……!」「あのさあ」 話に割って入ったのは志麻だった。泰良でも豹虎でもなく、窓の向こうをじっと見つめたまま静かに質問を投げかけた。「向かいのビルの窓からずっとこっち見てる人、あなたのお友達か何か?」「──え」 泰良が返答のために声をあげるより早く、銃声が鳴り響いた。そのけたたましさは窓ガラスを弾丸が貫く音をかき消し、「ぐあっ……!?」 阿座上泰良の左肩の肉を弾き飛ばした。「……! 今の」「キラキラ、てめえ!」「素人が喋んな」 志麻は酒のパックをいつのまにかリボルバーに持ち替え、冷たくそう言い放った。 泰良の悲鳴を聞き届けるわけもなく、再びガラスが割れて第二射が侵入する。が、その弾は泰良の身体をすり抜けて廃ビルの壁に風穴を開けた。「師匠……!?」 この場
阿座上泰良という人間は存在しない。存在するのはただ「阿座上泰平の息子」という肩書きだけだ。泰良はそう思わざるを得ない生き方を強いられてきた。 極道の二世が幸せになる道はない。天から授かった手前の身分をたいそう気に入って贅沢三昧をすれば良いのだろうが、泰良が抱えている欲望はそれで満たされるほど単純なものではなかった。(……親父) 承認欲求。それも自らの父親に認めてもらうというありふれた子供の抱える欲求。しかし、暴力の世界に産み落とされた泰良の欲望は歪んだ方向に向けて成長していくしかなかった。 力で証明する方法しか知らなかったのだ。 暴力、薬物、風俗、使えるものは何でも使って泰良は阿座上組長に尽くした。間の悪いことに、当時の若頭のことを組長はたいそう気に入っていた。だから若頭が躍起になっていた仕事《しのぎ》を潰して指二本詰めさせた。 本当はたった一言、「お前は自慢の息子だ」と言ってくれればそれだけで済む簡単な話だった。「泰良……そういうことじゃねえんだよ」 その言葉が何を意味しているのか知りたくて、泰良は裏のルートで知り合った殺し屋に頼んで自らの父親を拷問に掛けた。呪詛のような言葉は何一つ「聞きたくない」と一蹴して、得られたのは阿座上泰平は最期まで自分を認めてくれなかったという結果だけだった。「知ってるか、メビ。俺の血の半分は親父のものだが、もう半分は台湾人の血らしい」 昔、少年とそんな話をした。 妻との間で子供に恵まれなかった泰平は、自分が種無しじゃないことを証明するために台湾人の愛人に子供を産ませたのだ。 そこに愛があったのかは知らないが、人でなしはそうやって生まれた。 渡り蝶はそういう人間の集まりにしたかった。だからはぐれもののガスやメビとはいつか親友になれるとさえ感じていた。 メビは自分と同じだと本気で思った。米兵の息子だが自分の居場所に疑問を持ち、悪どい真似で大人の気を引こうとした少年。だから本当に深く愛着を持っていたし、俺に嘘をついて隠し持っていたライセンスも放っておいた。あれがただの純日本人の子供なら爪を剥いで殺していた。 そして阿座上泰良の暴力性は、殺し屋がいる深層と繋がったことで大きく加速した。原始人が火を知ったときのように泰良の世界は一変した。 ライセンスを持てば俺がしてきたことを司法が認め
殺していいならワンパンだ。ガスの脳天に鉛玉をぶち込んでそれで終わり。 でも話はそううまくいかないのだから、花火は頭を使って冷静に状況を見る必要がある。 焔の殺し屋ガス。身の丈ほどあるボンベに車輪を付けたものに繋がれた二本のガスバーナーは灼熱の炎を絶えず吐き出している。それこそがガスという殺し屋の存在証明だ。 試しに花火は廃ビルのいたるところに置いてある観葉植物の入った鉢を投げつけてみた。 志麻いわく、ガスバーナーは殺し屋生協から卸された特注品らしい。鉢を叩き割って粉々にしてもバーナーには傷ひとつない。 ふんふん、なるほどなるほど。「っし、お願いしまーす」 クラブから調達したアイスピックを構えて花火は駆け出した。デスクの上に跨り、跳躍し、ガスの露出した目めがけて突きつけ、「ッ……!」 その身体を炎が焼いた。耐熱性に優れたマウンテンパーカーが火の手から身を守るが、その熱は尋常でない。一瞬触れただけで痛みにもがき苦しんで、その隙に全身焼き尽くされて終わりだ。 不用意に近づいたら死。ガスの間合いに踏み込むことは容易ではない。花火は床を転がって衝撃と火を消して向き直った。「一番簡単なのはガス切れを狙うこと」 志麻の言葉を頭の中で反芻する。「ただし、今から君たちが踏み込むのはいちおーシータの本拠地。当然ボンベはフルチャージされてると思った方がいい」 ガス欠と花火のスタミナ切れ、どちらが早いかの勝負。真正面からこれと戦うならそういうつもりで作戦を組む必要がある。 だが、ダラダラ戦っていると豹虎が危ない。 というかなんで主人は独断専行してるんだ? ガスを倒してから三人で行くつもりだったのに。「まあいいや」 やることはいつも通りシンプルだ。 どうにかして死なない程度にボコボコにする。 それだけ、以上。花火はオフィスデスクの上に飛び乗ると獣のように四つ足で身体を支え、ガスの側頭部に思い切り蹴りを打ち込んだ。「いっ……!?」 焼けるような痛みとは反対に火が消えていた。赤熱する鉄のパイプとなったガスバーナーが花火の脚を止め、弾き返したのだ。「おい消すとか聞いてない、暗い!」「俺は夜目が効く」「聞いてないし……!」 ただ人を殺すだけならガスの炎で焼き尽くせばいい。だが、間合いを縦横無尽に動き回るカビのような殺し屋に対しては時に無用の長物
姉崎は大きい街だが、治安の悪い区画がそのほとんどを占めているわけではない。 司法が目を光らせる犯罪領域よりもっと深くにある深淵《ディープ》領域。本物のアンダーグラウンドに数えられる場所は地図上で明確に区分けできるものではなく、各地に点々と存在している。 それで言うと、幸区のクラブ・リンダを中心としたパランティカ・シータの領域は姉崎の裏社会で最大に近い規模を持っていた。インターネットを媒介として極めて大きな広がりを見せる深淵領域と違い、暴力団を継承するシータには自分たちの縄張りを重んじる精神がどこかにあった。 それを良しとしなかったのは主たる阿座上泰良ただ一人であった。「……有り得ねえ」 泰良は阿座上組の武闘派を束ねるリーダー。 だが頭の弱い武闘派連中が泰良に従ったのは、彼のカリスマやリーダーシップに惚れ込んだわけではなかった。 打算。泰良が阿座上組組長である阿座上泰平の息子だった、その一点だけ。少なくとも泰良はそうとしか思えないような人生を送ってきた。「若」という呼び名を無理やり改めさせ、右腕に殺し屋を置き、女子供を組織に取り入れ、そうやって悪の親玉として成り上がろうと必死になればなるほど、惨めだった。「なんでこうなった。なんでこうなる……」「タイラー……?」「黙れ!」 バチッ、と少年の顔が擦りむく音が無人の廃ビルに響いた。ここの四階が泰良の隠れ家だった。管理会社を脅して用意させた廃墟の下の階は無人。三階をガスに見張らせて自分とメビだけがそこにいた。 まるでダンジョンだ。さしずめメビは囚われのヒロインで、自分は邪悪で弱いボス。「キラキラだと……!? なんでお前の周りばかり寄りつく……!」 ガスに伝えられたあの金髪女、嶌崎志麻という殺し屋の異名。殺し屋を殺す者。警察や検察が犯罪領域の番人なら、彼女のようなトップクラスの殺し屋こそ深淵の番人。「ああ……メビ……殴って悪かった。でもお前とガスは俺の味方だよな? 俺と同じ生き物だ」「……」「汚い連中とは違う。それなのに、あいつは」 最強のカードをなぜお前が持っている。「一色……豹虎……!」 髪の毛を掻きむしる爪が皮膚を裂いた。どくどくと浅い傷から血が流れていく。 仲間の連絡であのクラブに警察が踏み込んだことも把握していた。二人の殺し